「ゲド戦記」原作者が激怒したテルー正体の解読が酷い【画像】

   

ゲド戦記1

2018年1月12日(金)放送、日本テレビ系・金曜ロードSHOW!「ゲド戦記」
21時00分~23時19分

ジブリ映画史上、最も酷評を受けている「ゲド戦記」

背景の絵も美しく、キャラクターも一人ひとりの人間としての存在感や動きにも、全力投球して造り込まれた力があり、作品の出来、ストーリーも難解ではない。しかし、そのストーリー展開が破綻しており、主人公の一貫性の無さもジブリらしさがなく、また設定説明がなさすぎなので原作を読んでないと訳が分からない部分が多く、「何の話」で、「誰が何をしているのか」感情移入が出来ないことが酷評の要因にあげられる。

ジブリ作品の「ゲド戦記」は原作シリーズⅢ「さいはての島へ」を映画化したもので、テーマは「人間の生と死」

森羅万象、この地球上の生きとし生けるもの全ての悲哀と苦悩。
我々、人間が人生において誰もが常に心に掲げる問題であり、何故ジブリはこの作品の映画化を宮崎吾朗に任せたのか?。「失敗してもいいからやってみろ」では決して済まされないほど、原作者を怒らせている。

今回は、ゲド戦記の原作者を激怒させてしまった騒動についてまとめてみた。

■目次

ゲド戦記あらすじ

ゲド戦記の原作

ゲド戦記の原作は世界最高のファンタジー小説

ゲド戦記の原作者を激怒させた理由

ゲド戦記以外でも原作者を激怒させた作品

ゲド戦記あらすじ

ゲド戦記4

「魔法」が日常的に存在する多島海世界「アースシー」。
そこでは人間の住む世界に現れるはずのない竜が突然現れて共食いを始め、魔法使いが魔法の力を失うなど、異常事態が次々に起こっていた。

その原因を探って旅を続けていた「大賢人」と呼ばれる魔法使い・ゲド、通称ハイタカ(菅原文太)は、ある日、エンラッドの国王(小林薫)である父を刺し、国から逃げている途中だった王子・アレン(岡田准一)と出会う。


アレンは、世界を覆いつつある「影」に怯えていた。

画像 ハイタカと共に旅をすることになったアレンは、美しい港町、ホート・タウンに到着。しかしその街もかつての輝きを失い、麻薬や人買いが横行していた。そんな街角で人狩りのウサギ(香川照之)の襲撃を受けていた少女・テルー(手嶌葵)を助けようとしたアレンは、ウサギに襲われ囚われの身に。

ハイタカは奴隷として売り払われそうになっていたアレンを救出。
そしてハイタカの昔なじみの巫女・テナー(風吹ジュン)の家を訪れたアレンは、テルーと再会する。 テナーの家で畑仕事などを手伝う中で、少しずつ人間らしさを取り戻していくアレン。

そんなアレンにテルーも少しずつ心を開き始めるが、アレンが自ら生み出し彼に付きまとう「影」は彼の心をむしばんでいく。そんな中ハイタカは、世界の均衡が崩れかけている元凶が魔法使いの・クモ(田中裕子)であることを察知。

過去のある出来事からハイタカを恨み続けているクモは、アレンの心の中の「影」を利用してハイタカを倒そうと決意するのだが…!?


公式サイト

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ゲド戦記の原作

ゲド戦記5

スタジオジブリのアニメ映画「ゲド戦記」の原作はアメリカの女流作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズ。

「ゲド戦記」アーシュラ・K・ル=グウィン

第1部「影との戦い」 A Wizard of Earthsea (原語版1968年、日本語版1976年)
第2部「こわれた腕環」 The Tombs of Atuan (原語版1971年、日本語版1976年)
第3部「さいはての島へ」 The Farthest Shore (原語版1972年、日本語版1977年)
第4部「帰還」 Tehanu: The Last Book of Earthsea (原語版1990年、日本語版1993年)
第5部「アースシーの風」 The Other Wind (原語版2001年、日本語版2003年)
外伝「ゲド戦記外伝」 Tales from Earthsea (原語版2001年、日本語版2004年)

日本では岩波書店から出版されており、当初は児童書の扱いだった。
その後、岩波少年文庫、ハードカバーと内容は変わらないが、大人向けにデザインを変え、映画化の際に発行したソフトカバーの4ヴァージョンが発売されている。

内容的には、成長や自己実現の話なので、思春期以降の青少年にふさわしい哲学的内省的思索的で、詩的なファンタジーは大人の読書としても十分堪能できる。

この「ゲド戦記」は海外で「指輪物語」「ナルニア国ものがたり」に並ぶ、世界三大ファンタジーの一つであり、原作者がかたくなに映像化を拒みつづけた程の作品。

「絶対に失敗など許されない」作品なのに、ジブリは宮崎駿監督ではなく、実子である宮崎吾朗が監督を務めた。

ゲド戦記は原作がストーリーの長い作品で、しかも中々難解な作品。
なので原作を読み込んで熟知している悟朗監督、脚本家は、長い作品を規定時間に収める事に必死で「自分達が判っている」からと基本的な設定や人物の素性、目的等の説明を省きまくった結果、主人公ゲドが旅をする理由も、世界観も周りの「キャラが何者なのか」、ほとんど説明らしい説明もされずに話だけが勝手に進んでいく。

映画だけ見た人はよく判らないままに、ストーリーが勝手に進んで行くのをただ、「見ているだけ」。原作を読んだ事のある人にもあまりにも酷いアレンジで「何が描きたいのか?」
よく判らないことで酷評を受けている。

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ゲド戦記の原作は世界最高のファンタジー小説

アニメ「ゲド戦記」は原作の数冊を元ネタにしたオリジナル脚本になっており、原作とはかなり異なった内容となっている。

ゲド戦記のシリーズの受賞歴

1973年、「さいはての島へ」全米図書賞児童文学部門賞
1979年、「影との戦い」で Lewis Carroll Shelf Award
1991年、「こわれた腕環」でフェニックス賞・オナー賞
2002年、「アースシーの風」で世界幻想文学大賞

「影との戦い」
ゲドは、自分にふしぎな力がそなわっているのを感じ、「真の魔法」を学ぼうと、魔法使いの学校に入る。進歩は早かった。得意になった彼は、禁じられた呪文を唱え、死の国の影を呼びだしてしまう。

「こわれた腕環」
魔法使いのゲドが影と戦ってから数年後、ここアースシーの世界では、島々の間に争いが絶えない。ゲドは世の中を平和にする力をもつという腕環を求めてアチュアンの墓所へゆき、大巫女アルハと会う.

「さいはての島へ」
魔法の館の長としてアースシーを治める大賢人ゲドのもとに、ひとりの青年が知らせをもってきた.彼の国では魔法の力が衰えて人々は無気力になり、まるで死を待っているようだと.いったい何者のしわざか?

「帰還」
平和と秩序を回復するために全力をだしきった大賢人ゲド.久々に故郷の島に帰った彼は、心身ともに衰えた一人の初老の男になっていた.彼が受け継いだ太古の魔法はどうなるのか.ゲドのその後は……。

「アースシーの風」
故郷の島でひっそりと余生を送るゲドのもとへハンノキというまじない師が訪れ、物語は再開する-.最近また竜が暴れ出し、緊張が高まるアースシー世界。顔に大やけどを負う少女テハヌーは、王宮に呼び出され、重要な使命を与えられる。

「ゲド戦記外伝」
つの物語(「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」)と、作者による詳しい解説を収める〈外伝〉.作者の構想したアースシー世界の全貌が鮮やかに見えてくる、「ゲド戦記」ファン必見の一冊。

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ゲド戦記の原作者を激怒させた理由

実はジブリがアニメ化する前に、2004年にアメリカで放映された実写のゲド戦記TVシリーズ「ゲド〜戦いのはじまり〜」が放送されているが、この作品は原作の1、2巻をベースにした作品であったが相当大胆な改変がされている。

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原作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンは、このシリーズに不満だったことから2003年に行われた第75回アカデミー賞で「ゲド戦記」の影響がうかがえる「千と千尋の神隠し」が長編アニメ映画賞を獲得し、世界的な名声を得た宮崎駿監督を称賛しており。「この監督にゲド戦記を描いて貰いたい」と、アニメーション映画としての映像化を希望。(もしくはジブリからのオファーを快く快諾。)


結果は、望んだ宮崎駿は監督をせず、息子の宮崎悟朗監督の初作品。結果は、TVシリーズを上回るほどの原作を改変されてしまう。


ゲドの真の名が「ハイタカ」というのはTVシリーズからの変更。

TVシリーズでは原作の1巻と2巻のクライマックスをシリーズのクライマックスに一本化する変更が施されていて、ゲドが解き放った魔物の真の名がゲドの(TVシリーズでの)真の名と同じハイタカであったことで、魔物が「ゲドの闇の部分」であったという「視聴者に分かりやすくする」狙いがあったと思われる。

これは、登場人物が二つの名前を持っていては、それを「視聴者に常に意識させるのは、読書に比べて困難だ」という判断もあって、より視聴者に印象が深いであろう「ゲド」を主人公が「他の登場人物に呼ばれる」など作品中で登場頻度の高い「通り名」にして、要所要所にしか出てこない真の名を「ハイタカ」にしたのかもしれない。

「分かり易さ」を求めた結果なのかもしれにないが、このような勝手な改変に原作者が怒るのは無理もない。

原作とアニメの違いは、


原作ではアレンは父王を殺してなどいない。

その時点で、もう原作者からかなり怒らせてしまっている。

原作でのアレンは王になり、簡単に誰にでも会うことはない。
「再会」といわれても、原作にそんなシーンないし、このエピソードでアレン(レバンネン)とテルー(テハヌー)の2人がかかわることはない。また、テルーは原作では少女ではなく、幼女といえる年齢。なのでアレンとの恋愛要素は全くない。

原作のテルーは実の父親とその仲間に輪○されて、焚き火に放り込まれて焼き殺されそうになった。そしてテル―の顔半分は、あんなアニメみたいなかわいらしいもの跡ではなく、ひどいケロイドで「言葉を話すことさえできない」設定になっている。

この辺の描写の改変はしょうがないとしても、ゲドを主人公にするなら「ゲドの青少年期」やテルーとの出会いをモチーフに作れば良かった。

ゲド戦記3

しかし、アレン(レバンネン)とテルー(テハヌー)が主人公になっているので、ゲド戦記+副題を付けるのは必要だった。原作はゲドとレバンネンがクモの犯した禁忌から世界を救うべく旅をし、最終的にゲドが力と引き換えに世界を救ってレバンネンを王位に付けて主役から退場するという内容。


壮年のゲドから若き世代への世代交代もテーマの一つだった
のが、これではそのテーマが完全に死んでいる感が否めない。

結果、アーシュラ・K・ル=グウィンは「ゲド戦記」を見て、「あれは私の作品ではない。吾朗の映画だ。」とコメント。しかし、吾郎が勝手に都合よく原作者との「会話を改ざん」して、聞こえのいい吹聴したことを日本のファンから知らされ、さらに激怒したという。

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ゲド戦記以外でも原作者を激怒させた作品

ゲド戦記

有名なエピソードでは、白土三平が「ワタリ」実写映画に激怒し、TVシリーズ化を拒否。
結果、稀代の名(珍)作「仮面の忍者赤影」が世に出ることになった。


トーベ・ヤンソンは「ムーミン」の丸まっこい可愛いキャラに激怒。

当初、原作通りに直させたが、やせて不気味なキャラに日本の幼児は泣き出しスポンサーは激怒。国内のみの条件で丸々としたムーミンが認められた。だが、原作者のヤンソン来日時は、日曜夕飯時に車に乗せ、テレビを見せないよう配慮したという。

「未来少年コナン」劇場版(主題歌・研ナオコ版)はあまりの主題改変、換骨奪胎ぶりに宮崎駿が激怒。スタッフとして名を残すことを拒否。「劇場ががらがらで三日でオクラになることを心底願っている」と言わしめたが、皮肉なものに大ヒットしてしまった。

高橋留美子は、うる星やつらの映画「ビューティフルドリーマー」で勝手に自分の世界を展開した監督・押井守に「あれは私のうる星やつらではない」と否定された。完成試写の後、高橋留美子はひきつった笑顔で、「こういう「うる星」があっても・・・いいかもしれませんね」と一言言うと、あとは何も言わず、それどころか、そのまま足早に立ち去ったという。

後日談で押井監督は、高橋留美子が「目指す方向性が違う」と言って立ち去ったと証言しているし、また、「原作者に怒られた」とも公言している。

ルパン三世の原作者モンキーパンチは「カリオストロの城」を評価しつつ、「あれはルパンではない」と付言。後年この部分だけ切り取られて、2chなどで「アンチの宮崎叩き」に引用されるようになった。

このように、総じて、「原作者と映画化作品の幸福な関係」というのは少ないのかもいしれない。

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1001: 以下、名無しにかわりましても~速がお送りしますφ @\(^o^)/ 2125/09/15(水) 0:00:00.00 ID:???.net

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